宮本 英伸(みやもと ひでのぶ)
出身地 | 大阪府堺市 |
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生年月日 | 1971年5月16日 |
血液型 | A型 |
保有国家資格 | 理学療法士免許 |
経歴 | 平成10年4月 大道会ボバース記念病院入職 平成18年4月 大道会森之宮病院に異動 平成23年4月 オステオパシー治療院ビアンネートル開業 平成28年11月 北堀江に移転しオリエンタルオステオパシーに改名 |
所属 | オリエンタルオステオパシー院長 日本オステオパシープロフェッショナル協会理事 日本オステオパシープロフェッショナル協会講師 ベルナルド・ダライアンD.O.のプライベートクラス修了 メカニカルリンクジャパンメンバー 日本トラディショナルオステオパシーカレッジ1期生 |
趣味 | 海外旅行。 学生時代はヨーロッパやアジアをバックパックを背負って1−2ヶ月単位で放浪してました。 |
理学療法士としての14年の経験
ボバース記念病院・森ノ宮病院で14年間、ボバース・コンセプトを基にした脳性麻痺児や脳卒中後遺症に対する理学療法を行ってきました。
医療人としての意識レベルが高い職場環境に育てられ、受診者に対して最大限の敬意を持ち、全力を尽くして結果を出すといった医療人としての大事な根底部分を育て貰いました。
若い年代の頃より、経験豊かな上司の指導の元で脳性麻痺のお子様を担当させて貰うなど、数多くの小児施術経験を積めた事は、間違いなく現在の小児施術者としての土台となっています。
ただ、理学療法士としての経験年数を積むごとに、自分がこの仕事を選んだ時に抱いた施術結果と、なかなか良く出来ていない現状とのギャップに苦しむ様になりました。
小児のリハビリに関しては日本屈指の病院であったので、とても期待されて入院・外来通院される親御さんの想いに対し、自分が充分応えられていない事への心苦しさ、そして治せない自分を守る為に理論武装して親御さんの想いを誤魔化さなければいけない自身の仕事のあり方に苦悩し、本来、好きで始めた仕事が日増しにとても苦痛なものへと変わっていきました。
オステオパシーとの出会い
そんな悩みをなんとかしようと、毎月の給料の殆どをつぎ込み、研修、自己投資を行いました。
東洋医学・西洋医学・整体・エネルギーワーク(気功など)などジャンルを問わず、「期待に応えれる様な施術者になりたい!」との一心で学び続けました。
学ぶ中で「テクニック重視の療法ばかりだなぁ」と思っていた所で「なぜよくなったのか?」が最も理論的に理解できたのがオステオパシーでした。
オステオパシーとの出会うことによって、理論的に施術を組み立て、自信を持って施術に当たることが出来るようになりました。
オステオパシーは痛みの伴わないソフトな手技で施術出来るので、小児の施術でもスムーズに取り入れる事ができました。
オステオパシーを学んでみて
始めて受講したオステオパシーのセミナーの後、どうしても自分の身体で体験したいという想いから、その時のセミナー講師である下村会長の施術を受けに、神戸まで週1回のペースで半年通院しました。
そんな熱意を汲んで頂けたのか、JOPA(日本オステオパシープロフェッショナル協会)の講師養成コースに誘って頂き、毎週水曜と木曜の21時から時には空が白々と明るくなるまで、下村会長の熱意ある指導の元でオステオパシーの研鑽に励みました。
それ以外にも頻繁に国内セミナーの受講し、カナダやフランスへ渡航しての海外研修など、給料と有休休暇の殆どをオステオパシーの研鑽に注ぎ込んできました。
その甲斐あってか、少しずつ臨床で良い結果が出だし、「期待に応えられる様な施術者になりたい」という当初の目標に少しずつ近づけている手応えを感じれる様になり、それと共に失いかけていた仕事に対する誇りも取り戻せる様になりました。
「オステオパシーだけで仕事をしたい!」という想いが日に日に強くなり、2012年に14年間お世話になった大道会を退職、大阪市内の堺筋本町で『オステオパシー治療院ビアンネートル』を開院しました。
その後、業務拡大を目指し、2017年に堺筋本町から大阪市西区の北堀江という賑やかな街に移転し、『オリエンタルオステオパシー』と改名して再スタートしました。
アメリカで始まりヨーロッパなどの西洋文化圏に伝播して発展してきたオステオパシーですが、師匠である下村会長の、『日本の風土と日本人の身体に合うオステオパシーを!』という想いから命名頂いた『オリエンタルオステオパシー(東洋的なオステオパシー)』という院名に負けない様、国内でのオステオパシーの普及と発展に貢献し、一人でも多くの脳性麻痺のお子様やそのご家族の助けとなれる様、日々、弛む事なく研鑽を続けています。